愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

9mmの日(9月9日)に向けて思う事

‟9mmのファンが必ず注目する9月9日について”

 

今年もまた9mmの日がやって来る。9mmのファンならば言わずもがなの事実だが、この日は決まって何かしらの形でライヴを開催する。今年は「カオスの百年 vol.14」が結成の地である横浜で開催される。

 

昨年は同じ場所で、観客を入れずにストリーミング配信で行なった。一昨年は昭和女子大学人見記念講堂での六番勝負(凛として時雨との対バン形式)だった。

 

六番勝負に参戦した際の記事はこちらから

※最寄り駅からライブ参戦までの記事のみ貼り付け

bluedestiny619.hatenablog.com

 

私にとって9mmは、いつも心の支えとして機能していたバンドである。

心が挫けそうになった時に、そっと寄り添ってくれるそんな存在だ。今では人生においての活力源としての役割へと変化している。

 

‟それは何故か?” と問われたなら、こう答える。

今の私は9mmに依存をするのではなく、9mmを使って日常に彩りを添えて、その時その場の人生を楽しんでいるからである。

 

事実、Twitterでは9mmのネタを楽しみながら呟いている日々だ。

 

フォロワーさんと関わる時、思いがけず面白いものが返って来る事が多く、私自身も驚きと新たな気付きが湧き出て来る事があり、それが結果的にいい文章を書く事にも繋がっている。

 

しかもそれで、フォロワーさんが笑ってくれている現場を見た時は、心から嬉しさを感じる瞬間でもあるのだ。どうやら私は相手が笑ってくれるならば、自分自身が道化になる事にも抵抗は感じない様である。※但し相手との関係性による

 

人と言う生き物は、‟意識が変わればここまで変化するものなのだなぁ…” と自分で自分に驚いている所である。

 

昔から自分に自信が無く、強がって虚勢を張っていた頃を思い出すと、今や笑いさえも出て来る。こうして過去を振り返ってみると、‟絶えず人の事を気にして自分の思う様に表現できず鬱屈した人生を送っていた” 事に改めて気付かされた。

 

人から理解されずにずっと燻ぶった人生を送っていた頃、自分の本音を押し殺して人に合わせる選択肢ばかりを無自覚に選んでいた私。

その反動で、いつも心は満たされず怒りに満ちていた。だが、それも ‟自分を満たし” ‟自らの本音を知って受け入れる” 事を繰り返しつつ、 ‟相手のニーズを満たす” 事を続けてきたからこその結果である。

 

話が逸れてしまった。

この記事を読んでいる9mmのファンの方、ならびに私のブログを読んで下さっている方々に楽しんで頂けているかは正直言って不安はある。だが少なくとも私自身が楽しみながら、今こうしてこのブログを綴る事は出来ている。

 

これからも楽しみながら、時々おバカな事を交えながら綴っていく事をここに記して終わる事とする。