愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

聖地巡礼の旅の行先を探って

聖地巡礼の旅の行き先を細かく調べてみたら出てきた事”

 

長期にわたるコロナ禍の影響による、度重なる自粛生活を余儀なくされた人が大部分であろう。私もそのうちの一人である。

 

母が後期高齢者と言う事もあり、コロナウイルスのワクチン接種を受けたが、だからと言って油断はできない。 そして私自身は現在再就職活動中だ。私自身もそうだが同居している家族も、日々出来沸くことがたくさんある様だ。

 

本題に入ろう。

 

先日ブログを綴っている最中、ふと思い立って聖地巡礼の旅の詳しい行先を調べていた。前回の聖地巡礼の旅の記事で、ギターの滝善充の詳しい出身地が出て来なかった為、それを調べる意味も込めて執筆の合間にパソコンで検索していた。

 

そんな経緯で検索した結果、目に入ってきたのがこの記事である。

ticketjam.jp

 

こちらの記事で、メンバー全員の出身地とバンド結成までのちょっとしたエピソード等を交えながら紹介されていた。

気になる方は是非ご覧いただきたい。

 

ちなみに滝の出身地は茨城県北茨城市だった。

 

メンバー全員の詳しい出身地を知った瞬間に、自室にあった全日本道路地図を引っ張り出した。調べたのは滝の出身地、北茨城市の位置である。直ぐ様地図を開いて茨城県周辺をくまなく探した。

 

そうしながら探す事、数分後には北茨城市を地図上にて確認した。更に周辺市町村を確認したところ、福島県いわき市に隣接している事が判明した。

 

新潟市内から車で行く場合は、磐越自動車道を経由する事になる。

 

交通手段を詳しく調べていく内に ‟ちょっ…私、高速道路で県外を走ったことなんてないんだけど…(震)” と恐れ戦いている自分に気付いた。

 

しかも田舎に生まれ育っている割には田舎道が苦手ときたものだ。

 

‟マジでどうするんだ!?” と慄然とした。

 

他のメンバーに関しても同じである。そもそも一人で遠出をする機会などほとんどなかったからだ、出掛けるようになったきっかけが、三年前に起業塾の全国大会に参加する為に東京に行った事だ。私が自分の意志で泊りがけで、県外に行くようになったのは本当にここ最近の話なのだ。

 

その翌年(2019年)は勢いが付いて、東京に行く事に抵抗はなくなってきたのだ。‟これなら全国どこでも行ける!” と言う確信が持てた時期でもあった。

 

ただしそれは、公共交通機関を利用した時の話。

 

車の運転に関しては結構ビビりである。

ある程度私の事を知っている知人からは、‟行動的” と言われているが実はその反面、慣れていない道や田舎道での運転は、パニックに陥る事が多い事も事実なのだ。

 

個人的にはこの辺りを向き合う事が今後のカギとなる予感がする。

 

さて今日は、9mmが仙台でライヴを行う。

 

今はTwitterで9mmのファンのフォロワーさんと交流を楽しんでいるが、リプライを返す度に、この人達と ‟近い将来リアルで会いたい” と言う意志が出て来る様になった。

 

それまで私は自分のやる事をやり切る。 

14年間好きで居続けた稀有なバンド

‟Endless 9mm愛”

 

オタク度がヘヴィー級、じゃなかった…

9mmに対するパッションがヘヴィー級な私www(暑苦しい)

 

只今、再就職先を探している最中だ。

就職活動を始めた当初は、有休消化中のうちに ‟スムーズに決まるか?” と思いきや、実際に取り組んでみると、現実はなかなか上手く行かずに手こずっている。

 

‟はぁ~…なんてこったい” と意気消沈しそうになるところだが、そこまで落ち込んでない。会社勤めも大事と思い就職活動をしているが、その一方で ‟私は文章を綴ることを仕事としたい” と言う本音が見え隠れしている。

 

とは言え、特別なスキルなど持ち合わせていない私がこの様に文章を綴り、しかもそれを仕事としてやりたいと思っている。文章を書くのは ‟特性として、ある” とは言われているが、実績はと問われると怖気づいてしまう自分もいる。

 

いや…なくてもやるんだよ。むしろ

 

「やる以外に選択肢はないんじゃない?」

 

と、言う肚からの本音に従ってとにかく綴る日々。

 

そんなこんなでこのブログも、開始してもう少しで6年が経とうとしている。始めた当初、こんなにも特定の事象に特化して綴ることなど、予想だにしていなかった為に今更ながらだが驚いている。まさか9mmの事を暑苦しく綴るブロガーになるなんて、予想だにしなかった。

 

このブログを綴るにあたって掲げた ‟自由に生きる為に自らの考えを綴る” と言う当初の目的とは、大きくかけ離れている様にも感じるが、根本的な部分ではブレていない。

 

話を元に戻そう。

私が9mmを知ったのは2007年と記憶している。それ以来少し離れかけた時期がありつつも、気になるバンドとして私の心に深く刻み込まれている。勿論今でもそれは変わらない。 私自身が人生において、苦しい・辛いと感じた局面で、そっと見守る様なそんな存在なのだ。

 

今日は名古屋で9mmのライヴが行われる。

 

この記事で9mmならびに、彼らを好きで居続けている人達の心に届く文章を綴る!と私は心で誓いつつ、ブログの文章でもそれをしたためる。

 

‟いつかこの文章が日の目を見る様に” と願いを込めて私は文章を書き続ける。 

 

一人何役も使い分けるドラマー

‟かみじょうちひろは才能の塊である”

 

「また、オタク発動…」 byイケメン執事@脳内住人

 

「何?脳内住人って?」と言う方は下の過去記事から

bluedestiny619.hatenablog.com

 

こうして、ブログで ちひろダダ漏れ記事” を綴り。実生活でも職場やプライベートで9mmならびに、かみじょうちひろネタを話し出した結果。今や、リアルでもネット上でも ちひろ推しブランディング が確立されている私。

 

先日Twitter上で絵師のフォロワーさんが、かみじょうちひろのイラストを公開していた時だった。過去のツイートをもとにして描かれたイラストを見た瞬間、‟えっ…こんなに毒を吐いていたっけ?” と、一瞬困惑した。

 

フォロワーさんのイラストを見るにつけ、こんなにも多彩なのかと驚きを隠せなかった。思えばTwitterの発信でも、かみじょうはその片鱗を見せている。

かみじょうちひろDr.Laboのアカウントからツイートで、まともキャラを出したかと思えば。もう一方のmonomonoのアカウントから毒舌で突っ込むと言う一人二役を演じる。monomonoのアカウントではアイコンがカピバラである。

 

※ちなみにmonomonoは3ピースバンドでそちらでもドラムを担当している。

かみじょうちひろDr.Laboはいわゆるドラム教室(研究所)だ。

 

かみじょう本人のアイコンで ‟カッコよさの中にちょっぴりおふざけ” の効いたツイートを投稿すると、もれなくカピバラアイコンで ‟ハゲ” と自らを罵る二重人格ぶりでもってリツイートする。

 

ちょっ…どこがハゲやねんwwwwww

 

前回のブログ記事にて、過去のjugemブログやコラムで一人称を使い分けている事実を綴ったが、これら複数のキャラクターを、意図して使い分けているのは流石としか言いようがない。

 

天才かよ!!!!かみじょうちひろwww

 

と毎回叫びたくなる程だ 。

 

 

 

不器用系オタク女子の頭の中

‟9mmの事なら話がし易い”

 

ただし音楽の技術的な事は一切ついて行けない(切実)。

‟何だそりゃあ、ただのポンコツじゃないか!?” と言う突っ込みが出て来るかと思うが、音楽の専門用語や機材の話題が出て来ると、その途端に何も言えなくなってしまうのだ。

 

‟ごめん…全く付いて行けないや(悲)” と心の中で言うにとどまるだけだ。

 

関わりたいが、“自分の理解能力の無さなのか?” 、 “単純に付いていけないからか”。引け目に感じる自らの肚の内を観てみると、
そこはかとない ‟構ってちゃん” オーラが出て来た。幼少時の原体験から ‟私の事を分かって欲しい!” と言う承認欲求が突如として湧き出て来たのだ。

 

随分昔に私の幼少時の事をブログで綴っている。

小学校時代からいじめに遭っていた私は、学校で同級生と上手く関わる事が苦手だった。‟ただ穏やかに誰かと関わりを持ちたかった…” と言う願いは叶わず、そのまま時は流れていった。

高学年の頃より生きる希望を見いだせなくなり、毎日鬱々するようになっていった。

 

今は問題はあるにはあるものの、だいぶ生きる事が楽にはなってきた。それでも過去の出来事に付帯する感情は、未だ付いて回っている事も事実だ。

 

そんな私のメンタルが、安定するようになってきた要因はと言うと、今通っている起業塾もそうだが、9mmとの出会いも同じくらい大きかった。

 

先日行われた塾のフォロー会で、宿題の進捗状況ならびに気付きを話したところ ‟今、話をした事をブログに書けばいいんじゃないの?” と主催者から言われたのだ。

 

‟9mmの事でここまで話が出来るんだったら、それを文章に起こせるんじゃない” と言われた私は、それを綴る事にしたのだ。

 

そう…

今まさにこの記事で綴っている

私は ‟9mmを介してコミュニケーションをとっている” と言うのは事実の様だ。

 

前回の記事で、メンバー全員をギャップと言う観点から綴ってみた。

執筆している最中、それらの文章をまるで ‟人に話をしているかの様な感覚” で綴っていたのだ。

 

‟そうそう、この状態…かなりいい感じじゃないか!!!! ” とちょっとした自己満足に浸った。やっぱり私は9mmのオタクで、それを語った方がエネルギーが乗る事がここで実証された。

 

今後もオタクを語る事とする。

 

 

 

9mmはギャップでドハマりする件

‟9mmはギャップに惹かれる”

 

Twitterで9mmのネタを開示しつつ、フォロワーの人たちのツイートを観ながら、それらを端的にまとめてツイートする等。発信の幅が広がっている事も感じている今日この頃。

 

9mmのオタクと言う事実は変わらずして、ここ最近は発信のバリエーションが増えてきている。 ここにきて発信の裾野を広げて来た実感が、目に見える形で如実に出て来た事を、徐々にではあるが身を以て体験している。

 

さて本日は9mmが福岡でライヴと言う事で、9mmのネタを綴る事とする。

 

私が思うに9mm Parabellum Bulletと言うバンドは、ギャップで惹き付けられるバンドであると確信をしている。

 

ボーカル・ギター 菅原卓郎の場合

容姿は顔立ちがハッキリして細身のスラっとした体形という事もあり、一見するとどことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。ぱっと見は怖そうに見えるが、MCなどで気さくなキャラクターを発揮していてそのギャップにやられる。笑った時に顔をくしゃ~っとさせて笑う姿も何だか可愛らしく感じる程である。だがその部分を抜きにして見た時、 ‟なんと艶のある人なのだろう…” とハッとさせられる。

 

ギター 滝善充の場合

見た感じでは穏やかな印象を持たれるが、LINE LIVE配信の圧が掛かった発言の数々。それらをTwitter経由(フォロワーからのツイート)で聴くにつけ ‟こいつ、ヤベェわ…” と若干の震えが出たが、その後何故か ‟何これ?ウケるwwww”吹き出していた。かつて9mmが栗山千明に楽曲を提供した事があるが、歌番組に出演した際の滝のパフォーマンスについて、ネット上では「栗山千明の横にキチ〇イ」と評されていた。穏やかそうに見えるが、細かく観て行くといろいろとおかしいw。だがそれが味なのだ。

 

ベース 中村和彦の場合

ギャップと言う観点で観ると、一番少ないと感じるのが和彦だ。MCでは他のメンバーと比べて、突っ込み方が控えめである。Twitter上では ‟突っ込み切らない” と言う評判を聞いている。ライヴでの激しく動いている様子を見ると、その辺りは想像しづらい。ただ、短髪から髪を長く伸ばしたのは想定外だった。しかも、今ではライヴでポニーテールやお団子にしている時もある。←女子かっ!

 

ドラム かみじょうちひろの場合

散々書いているが、ドラムを叩いている時のクール・ストイックな様子と、MCやコラムでのエロ・おバカキャラは定番中の定番である。9mmのメンバーで一番ギャップの振り幅が広いのである。コラムでは一人称を複数使い分けている。使用頻度の高いものから並べると(俺・僕・あたし・私)となる。一体この人の頭の中には、何人のキャラクターが存在しているのだろうか?といつも気になっているくらいだ。

 

ここまで私が9mmのメンバーに、ギャップでドハマりしている事実を綴ったがいかがだっただろうか?私にとって9mmは、この様なギャップも開示して ‟衝撃の化身” ならぬ、‟笑撃の化身” をもやり切っているのか?と錯覚してしまう程である。(ただしあくまで主観w)

 

9mm Parabellum Bulletは衝撃系ギャップ萌えバンド(?)の一面があると私は感じている。

 

以上

 

 

 

言葉で伝える意識

‟再就職活動の最中にブログを綴り続けてきた結果の気付き”

 

言葉は時として人を傷つけるが、その反面癒しにもなり得る。

現在、就職活動の真っ最中にある私は、この機会を使ってSNSやブログで発信している。

 

まとまった時間のあるうちに文章の執筆に専念したかった事もあるが、それ以上にネット上で、人と関わる事を意識して発信したい部分の方が大きかった。

 

とは言え、将来の不安が出てくる事がある。

 

仕事、そこからの収入の問題である。前から収入の事はブログで綴っているが、更に問題が生じた。先日、今月の給与明細が郵送で届いたが、控除額が多く手取りの金額が大幅に減っていたのだ。 

 

‟な…なんだってー!!!!! ”

 

一体これからどうすればいいのか…とまたも気持ちが落ちかけてきた。だが ‟ここで落ち込んでいる場合ではない” と思い直し、肚を観て感情を探した。

 

私の心に暗雲が垂れ込め掛けていたところを、すんでのところで持ち直した一瞬だ。

 

今月は私の仕事の退職に加えて、自宅の風呂の修繕費の支払いの事も重なり、金銭的に厳しいと感じたのだ。

 

話を元に戻そう。

 

今月にブログにて、金銭面での不安の正体を見ないままに文章を綴った結果、Twitterで批判されて記事を削除する事になったのも、その裏に感情があるからだ。

 

今はその感情を味わい、Twitterとブログを更新している。私は人に “生きる事の楽しさや面白さを言葉で伝える” 事。それをやりたかったのだと気付いたのだ。

 

そしてそれらを継続していく!

今、目の前の良い流れに乗って

‟あらゆる事象はあなたを待ってはくれない”

 

時代が刻々と変化していく中で、‟自分はどの様に生きていくのか?” と自らの在り方を定めていく事。それが、これからの激動する時代を生き抜く為に必要な要素である。

 

刻一刻と過ぎていく時間を感じながら、今自分がやれる事を淡々とやるだけ。 これらは何度もこのブログで綴っている事ではあるが、まだまだ周りに振り回されている人も多いのが現実だ。

 

なお偉そうに言ってはいるが、私も人間なので無自覚なうちに特定の何かに囚われて、方向性を見失い行方不明になりかける事が多々ある。

 

それが人間と言う生き物なのだ。

 

何物かに囚われて自分のビジョンがぼやけていないかい?

 

そんな時には自分の内なる声に耳を傾けて、それらを満たす事だ。今の自分が出来る範囲からで構わない。

 

“少しずつ…少しずつでいいんだ、焦る必要はない” と言いたくなる。それは、自らに対して言い聞かせる側面もある。

 

前段で “焦る必要はない” と綴ったが、そうは言っても焦ってしまうのが人間だ。

 

そんな時は “焦りが出る事” を認めて受け入れればいい。その後に焦りの裏にある本音を、丁寧に観ていく事だ。

 

それらを続けて行けば、思わぬところで自分が心から願っていた(思っていた)事象に遭遇する。