愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

共に成長する気が無いなら結婚なんかやめてしまった方がいい

私の親族(おじ、おば、従兄弟姉妹)達は幸せそうには見えない。

 

おばと従姉妹たちは、自分の配偶者の不平不満をぶちまける

 

“自分自身はなんでもやっている” と思い込みが強い

 

無意識で “自分は悪くない” “悪いのは全て相手だ” と思い込んでいる 

 

 

 

「ふざけんなよ!!!!!!!!」

 

 

そんなわけねぇだろーが 

 

何もしていないくせして偉そうな態度とってんじゃないよ

そのふてぶてしさに腹が立ってくる

 

 

おじと従兄弟は自分の妻の自己中心的な言動・行動を叱る事をせず放置。もしくは、言っても無視されるか逆切れされる。

 

 

 

「お前らただの下僕かよ!!!!!」

 

 

冷静になって怒れ。それでも話を聞かない傍若無人な態度を取るならば “出ていけ!” と言っても構わないと思っている。

 

 

圧倒的なコミュニケーション不全に陥っているにもかかわらず、蓋をしたまま放置している。

自分自身の感情に向き合わず、相手に擦り付けて見て見ぬふりをしているのだ。

 

当然のことながら、パートナーシップは最悪だ。

目も当てられない。

 

ここまで来たらただの暴力行為でしかない 

 

自分優先の意味を履き違えていないかい?

 

それともパートナーは “自分の欲望を満たす為のただの道具に過ぎない” と思っているの?

 

いずれにしてもおこがましい話だ。

 

 自分自身を大事にするように、相手にも同じように扱うのだ。

 

そこまでする程ではない人間と付き合い、伴侶として生活をともにするなんて考えられない。そんな相手と結婚しようと考えている人間は何か裏があるものだ。

 

 

相手に思う存分依存するだけしておいて、自分の都合が悪くなったら全責任を押し付ける。悪い自己責任の取らせ方だ。(そもそも自己責任でもない)

 

 

そんなクソ野郎とクソ女は、ボロ雑巾の様に扱われて…絶滅しろっ!!!!!

 

 

相手をモノ扱いしか出来ない輩に未来はない 

 

 

“自分” を評価しない人には執着しない

FacebookをはじめとしたSNSを続けてきて思った事。それは

 

“人の気持ちなんて移ろいやすい” ものだという事。

 

残念ながら、定期的に発信し続けていないと本当に忘れ去られる。

 

私にとって

“忘れられる” “放置される” 事は耐え難い苦痛である。

 

私自身はプライドが高い方なので尚更だ。

 

仮に相手は悪気が全くなかったにしても、激しく落ち込む上に恨みさえもする。表面上は平静を装っていても、しばらく経ってから悲しみと怒りが湧き上がってくるのだ。

 

満たされない気持ちは積もり積もれば、かなりのストレスなのだ。

 

その気持ちをその場で言いたいが、和やかな場の雰囲気を自分の一言で壊したくはないのだ。周りの気持ちも考えた上であえて言わないのだ。

 

“言わない” 場合もあれば “言えない” 場合もある。

 

私は小さい頃から場の雰囲気を嫌でも察してしまう。場の雰囲気を壊す事全般を極度に嫌う。

 

大人数集まっている時は自分の事より、他人の事を優先してしまいがちな私。

けれども、それは “自分を大事にしていない事” に繋がっていると気付いてしまった。

 

本当は自分を犠牲にしたところで、何にも得をしない事に薄々気付いていた。でも見て見ぬふりをしていたのだ。

 

自分の心を隠して犠牲にしても結局、他人はそんなに振り返らない。

 

そもそもの原因は “自分自身は所詮この程度” と思い込んでいるところにある。

 

自分で自分をどのように扱っているのかが問題なのだ。

 

どうやら私には、自分自身が本当は望んでいないにも関わらず “仕事だから”(本業のでの話)“やらなきゃならない事だから”言い訳(目眩まし)をしている時がある。

 

そんな微細な心の変化も今の私は、“騙さない” “誤魔化さない” 。

 

日々自分に課して生きていく

 

 

私が起業を通して実現したい事

私の使命は自分らしく、既に持っている光を存分に輝かせて生きている人を一人でも増やす事

 

全ての出来事に良いも悪いもない。

 

怒り・悲しみ・不安・恐怖等、様々な感情が出来湧く。

その感情や物事に対して、良い(悪い)と思っている自分がいる。

 

私には数年間、悩んでいた事があった。

詳しい事はここでは綴らないが、その問題もあと少しで解決できる目処がつきそうである。

その問題の渦中にいた時には、本当に母と兄を恨んだ程だった。

 

 この時期は、家族だけではなく周囲の人全員との関係性をなんとかしたかった頃。

bluedestiny619.hatenablog.com

特に下の記事を綴っていた時期が一番家族との関係が良くなかった頃。まるで地獄を見た様だった…
bluedestiny619.hatenablog.com

紆余曲折を経て一筋の光明が見えてきた。今はそんな心境だ。

 

話はだいぶ逸れたが、私がカラーセラピストとして起業しようと思ったのは実際にカラーセラピーを受けて、そこで色に込められた意味や心の奥底に眠っている可能性を引き出していただいた体験をしたからだ。

 

そして今は、感情・感覚を大事にして生きている。

昨年秋からレイキヒーリングも自分自身に行なっている。

最近は介護施設に入所している母方の祖母にレイキをしてきた。

 

全ての事象に良い悪いは無い

 

ただ “良い” “悪い” とジャッジしている自分がそこにいるだけ。

ただそれだけだ。 

 

 

本業は “Inspector” 

新潟発 週末ライトワーカー

光のかけら 

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“楽しくなければ仕事じゃない!” と言える様に

現在の私は、本業の職場においては自動車部品の寸法測定の仕事に就いている。

現在の部署に異動してからもうすぐ2ヶ月が経つ。

 

前に所属していた部署では、外観検査の仕事に就いていた。

 

配属されてからは、座学と実際に測定機器を使って測定をする研修を受けた。

 

その後新人が入った事がきっかけで、先月から実地での測定が始まり今に至っている。

 

実際に測定の仕事をしてから、分からない所は職場の先輩に訊きながら孤軍奮闘する日々の中、地道に作業を進めていった。

 

しかし覚える事柄があまりにも多く、スキルの習得が中々進まなかった。その結果どの測定方法のスキルも定着せず、悶々とした日が続いた。

 

この期間が実に2週間程。

 

その後直属の上司より配置転換の旨を伝えられ、それに伴い担当地区が変わってからはとても仕事がしやすい環境になった。

 

 

主な仕事内容

 

関係する書類(自主検査成績表)の判子捺し・海外向け製品の合格証の発行。抜き取り済みの製品の物理検査提出と提出した自主検査成績表の返却がメイン。

 

その合間を縫って、比較的簡単な箇所の測定検査。

 

 

短い期間で多くの事は覚えられない上に、継続的にしていないと忘れてしまう為、この様な仕事内容になった。

 

パソコンの入力に関しては、ノートパソコンを購入してから直ぐに市販のテキストを買って独学で学んだ。

その後程なくしてパソコン教室に通い。基礎講座・Word・ExcelPowerPointを学んだ。

 

専門学校時代は、悪戦苦闘していたパソコン操作。

それを克服すべく社会人になってから、一念発起して勉強した。

 

それが結果的に今の仕事に活かされている。

 

“やって来た事は無駄にならない” と感じた時だ。

 

更に楽しく仕事が出来る自分でありたい。

 

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夢を実現させたいが故に綴る

巷でよく言われている “思考は現実化する” の言葉。

引き寄せの法則で決まって出てくる言葉だ。

 

私もカラーセラピストとして起業すると決めた際、Facebookを初めてから更にSNSとの関わりを深めていく中で聞くようになった言葉。

 

元々自分に自信の無かった私も、ご多分にもれずこの言葉に反応した。

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けれども、それを皆が活用し切れている訳ではないのも事実だ。

 

それをどの様にして使いこなし、自分の望んだ人生にしていくのか?

 

それは、願い事をする際に “なります様に” と他力本願な言い方ではなく

 “なります!” “なる!” と言い切ると現実化すると聴いた。

 

言い切る事で “変わるんだ!” “変わっていくんだ!” と言い切ったその時点から、覚悟が決まるのだ。

 

 

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明日どうなるかなんて分からないからこそ

 今年に入って早々、私のかつての上司が亡くなった

 

元旦の午前中、カラーセラピーの出店をする予定のカフェに向かう為に車を運転していた。

 

その途中の葬祭場の前を通った時、見覚えのある名前が書かれていたのだ。

 

普段から本業の仕事に向かう際に通る所だ。

 

目にした時は、“同姓同名の誰かだろう…そうであって欲しい” と思っていた。

 

仕事初めの日、職場のデスクに就いてから同じ部署の先輩社員から聞かされた。

その後行われた全体集会の最後、社長の口からも伝えられた。

 

 

まさかの出来事としか言えない。

 

“人生は一度きりしかない”

 

私は自分自身のできる限りの事をさせていただくだけ。

 

 

 

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未来への青写真は何?

タイトルがいきなりの分かりにくい質問で驚いた人もいるだろう。

 

私は過去と未来ならばどちらかと言えば未来を意識して見ている。もちろん現在の状況も見つつ、未来を意識している。

 

かといって、過去を全く見ない訳でないけれど。あまり振り返りはしない。

 

過去があまりにもつらかったから?

それは私の考えと微妙に違っている。

 

過去なんて所詮過ぎた事。

悔やんで憂えてどうするつもりなのだろうか?

そんなの振り返ったらキリがない。

 

 反省するのは必要だけども、行き過ぎると逆効果だ。

 

“未だ見ぬ未来を思う方が更にいい”

 

まだ起こっていない事なら、どうにでも変えられる。設定変更なんていつでもできる。

 

大好きな色のノートに書いた野望。

 

あまりにもスケールの大きい夢がたくさん描かれている。

もちろん些細な願い事もある。

 

 

“どこまで実現するのかは分からないが私はやる!”

 

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