愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

インスピレーションに頼り過ぎず、文章を綴る事に決めて

“依存する事を辞める一環としてここに綴る”

 

ここ一年程は、インスピレーションがどうにも出て来づらい状況だった。(コロナ禍ならびに転職活動等で、慌ただしい状態が続いていた)

 

そして現在は、派遣社員として時として職場を転々としているところだ。

 

“何があってもブログを続ける” と決めて紆余曲折を経ながらも、綴っている理由は何か?と問われると、文章を書く事は私にとって表現方法の一つであり、生きる事そのものでもある。

 

今は娯楽としてブログに留まらず、Twitterでも活用している。要するにおバカなネタを自分からもポソっと呟き、フォロワーに限らず面白いツイートを見つけたらリツイートをしている。それは私自身が楽しみたいからと言うのもあるが、‟フォロワーさんにもクスッと笑って貰えると嬉しい” と言う部分が多い。

 

昔は文章を書くときに、インスピレーション一本勝負と言う部分がかなり多かった。実際にブログを書き始めた数年間はまさにその状態が続いていた。当時は今よりもかなり直感的に文章を書けていた実感もある。

 

更新を続けてきた結果として、年々直感で出てきた言葉よりは、事実に基づいた文章を綴る比重の方が多くなったと感じる。

 

普段のTwitterでは、自由に自分が面白いと思った事を呟いているが、時々直感的に思い浮かんだ言葉を呟いている事もある。

 

インスピレーションならびに直感的なものはTwitter。事実ベースの長文はブログで表現すると言う、使い道になってきた事に気付いた。

 

Twitterは良くも悪くも反応がダイレクトに伝わるツールである。だからこそ楽しい事を呟いている側面もあるのだが、それ以上に先に綴った様に “人が楽しんでいる様子を観るのが好き” だから呟いている事がベースとしてある。

 

話を元に戻そう。

前段で綴った経緯から、私はタイトルにある様に ‟インスピレーションに頼り過ぎず、文章を綴る” 事に決めた。

 

インスピレーションは大事ではあるが、そこに固執する事なく今後の文章表現に活かして行く。