‟私は人と関わる事が好きと自覚した出来事”
相手から何かの拍子で当たり散らされると、それ以降はビビリになる。リアルのみならずネットも例外ではない。
先日、Twitterで私の記事の批判をするツイートが入ってきた。引用した文言を見て、これは私が綴った文章だと明らかに分かった。それに続く一文に衝撃を受けた。‟フォロワーを侮辱している” この文が目に入った瞬間、私は慄然とした。
想定外の展開で寝耳に水だった。件のツイートを見てからしばらくの間、肚を観て感情を探して味わった。当該ブログ記事の文章にて、私の言葉が足りなかった故に起こった現象なのだと、翌日の朝にやっと認識はしたものの、そこから湧き出て来る自己否定と向き合わざるを得なくなった。
それでもなお出て来る自己否定のループに危うくハマりかけた。
‟私の人生、ここで終わるのか? ” と心の奥底には、顔が見えない相手による、インターネット上での反撃に怯えて、危機感を募らせていた。それらを避ける為にツイートした相手をブロックした。
自らが蒔いた種とは言え、 その結果は私の思いとは全く逆の方に向いてしまった。
過去の記事について、一部の人からは我欲に塗れて他を顧みない人物と誤解を与えてしまった事は私のミスである。私の物書きとして、更には人としての在り方がブレた事に起因するのは紛れもない事実である。
ご縁があって繋がって下さったフォロワーの方々には、ただただ感謝しかないのだ。今後私のブログを読むか読まないかは、各自の判断に任せる以外にない。人の心は完全にコントロールなんて出来ないからだ。むしろコントロールしようとするからおかしくなる。今を生きる私たちがやる事は ‟事実を観て受け入れる” 事だ。
‟ピンチはチャンス” と言う言葉がFacebook上で時々見かける事があるが、これらの経験がまさしくそれにあたる。起こった当初は正直言って、事実を受け入れる事さえ難しかった。だが、そこに付帯する感情に目を背けずに丁寧に肚を観ながら本心に耳を傾け続けた。
話を元に戻そう。
私は9mmが好きである。だがそれ以前に人が好きである。今回の出来事がきっかけで、人を蔑ろにしてしまった事実に気付いた。だがそれがきっかけで、私が大事にしている根本的な部分を思い出させてもらったのだ。
もし万が一、私の文章を見てくれている読者を侮辱する様な事があったら、私も対応を考える。