愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

“社会不適合者” と呼ばれた過去を受け入れる

“現在の職場からしてみたら、同業の工場を退職した時に、社長の息子から告げられた台詞”

 

私は社会不適合者と認めざるを得ない様だ。

 

“うん、大正解!おまけに情緒不安定感が更に増してきたわ”

元々昔からその気はあったのだが、最近は特にそれらが強く出ている。

ええ、そもそもコミュ障の社会不適合者ですからね←久々にコミュ障って言ったw

 

現在の職場は、社長(とその妻)、息子が二人と十数名の従業員が所属する小さな町工場だ。この工場の内部の体質は非常にガチの職人系である。

 

先の段で綴った ‟ガチの職人系” の事だが、今週になって初めて知った事実だ。

 

私の憶測が甘いと言われたら、そうとしか言えない。“何でこんな選択をしてしまったのか…” といつしかそれを自らを責める材料として使っていた。

 

十数年振りに “かなり病んでいるな” と自分でもかなりハッキリと自覚出来る程である。

 

だが、この様な自己否定は意味を成さない。ただの精神的SMだ。そこまで自分自身を苛める必要はない。もう少し緩く生きる事を自分に許可していい。

 

そもそも ‟社会不適合者を悪と見なす理由は何なのだろうか?” ‟コミュニケーション障害の何を問題だと思っているのか?” その理由を答えていただきたいものだ。事実として。

 

さしづめ、差別的な言葉や個人の好き嫌いの範疇でしか答えられない筈だ。

‟社会不適合者”‟コミュ障” で悩んでいる人は一定数いる。‟出来る事なら何とかこの状況を打開したい” と、本気で考えている人もいるだろう。これを読んでいる方へ、お願いがある。少しの間、その人達に対して意識を向けてみて欲しい。

 

 

私は仕事ならびにプライベートでも、下記の記事にある様にフラットな関係性でしか付き合えなくなっている。

参考までに過去記事を(表題と最初の数行だけ、それ以降は今回スルーで)bluedestiny619.hatenablog.com

 

以上だ。