愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

変化の波にしなやかに乗って

先月、レイキのファーストのアチューメントを受けて来た私。

それは分離から統合の時代に対応したレイキのアチューメントだ。

 

 

今月はセカンドのアチューメントを受ける予定である。

 

 

気付きのチカラを更に開花させ、人生をもっと自由に自分らしく生きる為に、私はTCカラーセラピーとレイキを使ってサポートしたい。

 

私の現段階で思い浮かんでいる将来のビジョンだ。

 

そして文章を書く場面でそれを活用させて、その人一人一人の持ち味を無理なく引き出すライターになりたい。

 

 

クライアントの心に寄り添い、なりたい姿を一緒に考えて作り上げる文筆家。

 

 

そんな仕事を私はやりたい。

 

 

もっと自由に生きていく為に

先月に入ってから、気持ちが乗らず若干気が重かった。


幸いにして月の中頃には、だいぶ精神的・肉体的にも安定して来た。


恐らく気候の変化の影響もかなり受けているかもしれないが、心も身体も重くていまいちパッとしなかった。


その原因は一言で言うと


 “後に残された者としての責任感” 


この一言に尽きる。


とにかく不安だらけで、先月の月始めの仕事中は毎日のようにふと涙が出ていた。

 “消えてしまいたい…” 

とさえ思うこともあった。



例えるならば、こんな感じだ。


“ああ 一人乗りのこのボートに
無理矢理に乗せるから 命よりも重いものは捨ててくれ”

(9mm Parabellum Bullet光の雨が降る夜に」)


要らない物はいっそのこと、捨ててしまいたいとの思いが強かったのだ。


更に今月は上司より急遽公休日出勤を依頼された。その上、今朝は残業時間の延長まで考えている旨を告げられたのだ。

真剣に働いても思った程には楽にならない現実。

周りからは、不満と愚痴しか聴こえてこない。


これでは、自分自身の心を満たす事などとっくのとうに忘れ去ってしまうではないか!
私にとっては、非常に由々しき問題である


(冗談じゃない!)


肉体的休息はもとより、精神的休息も仕事を円滑に進める為には必要不可欠な条件の一つなのだが、口で言うわりには現場ではあまり重要視されていない様に感じる。


要するに、人に “ああして欲しい” “こうして欲しい” と求めるんじゃなく
“私はこうします!” と宣言して行動する。


失敗する事は悪ではないのだ。
敢えてもう一言付け加えるならば、行動しない事の方が害悪なのだ。


 “もっと生きやすく働きやすい” 環境にしていく為に、私も出来るところからコツコツと取り組んで行きたい。

信頼できるかは、心を開けるかどうかでもある

“話を聴く” という行為。

 
 
言葉だけを取ると簡単な様に見えがちなこの行為の裏にも、実はかなりの労力ならびに集中力が使われている事に着目してもらいたい。
 
 
私の周りには、 “話を聴く事” を仕事にしている方も多い (コーチング、カウンセリング、セラピー等) 
私自身も将来的に “話を聴く事” を仕事にしていきたいと考えている。
今、その “聴く力” のブラッシュアップを図っている最中である。
 
 
たかが、“聴く” と侮ってはならない。この行為を蔑ろにしている人を私はよく見掛ける。
 
 
その様子を見るにつけ、私は心が痛むのだ。
 
 
“決め付ける” “ジャッジする(裁く事)” “誤解、曲解したまま放置”
 
 
上のこれらが話を聴くときにやってはならない事
 
 
“話を聴く” この行為で救われた内の一人として、声を大にして言いたい。
 
 
ジャッジ、決め付け、誤解・曲解は人を傷付ける。(マジで!)
 
 
私もしない様に、ならない様に精進していきたい。

U ·T· K を意識して肚の感覚を感じる

今年から本格的に取り組んでいる、リメンバランス(旧:心のデトックス)セミナー。


自分自身の感覚・感情に向き合うと決めて日々を過ごしている。


日常的に何時でも何処でも取り組める為、理論だけに留まる事なく実践しやすいところが魅力的だ。


U · T · K (嬉しい・楽しい・気持ちいいの頭文字)
この感覚を思い出して、肚の感覚を感じる事。そこに集中するのだ。


そして意識を外に置いて、自分自身の肚の感覚がどの様な感じかを観ていく。


セミナーの中で、 “感情のエネルギーは肚に溜まる” との言葉が出てきた瞬間、 “今まで学んできた事とも合致する!” と直感的に頭で考えるよりも遥かに速く理解できたのだ。


チャクラで表すと、肚の部分はちょうどオレンジ色。オレンジには感情的な代謝を促す作用もあるのだ。


精神的なショックを受けた時には、それを吸収する効果もある。


追記:オーラソーマのボトルで、ハンプティダンプティと言う上下共にオレンジのボトルがある。


感情エネルギーを十分感じながら、スッキリと手放していく。


そして頑張らずに楽に生きていきたい。

スピリチュアルな女王様

2月に入ってから、セラピストとしての活動を再開するにあたって起業に関するセミナーに参加してきた。

 
 
自分の “強み” を発掘するものと、“4つのポジショニング” のセミナー。
この2つのセミナーを、休暇を取って参加したのだ。
 
 
おっと…話が逸れてしまった(汗)
 
(せっかくなんだから、それはアメブロで書けよ~)
 
 
先月はFacebookで繋がりのある友達が出店しているイベントに、再び顔を出す様になった。
 
 
その日は、朝活の後イベント2ヵ所回ってきた。最初に立ち寄ったイベントの会場で友達の一人が、マヤ暦占いで出店していた為試しに受けてみた。
 
 
その結果、女王様キャラだという事が判明した(苦笑)まぁ、今までも度々言われていた事ではあったけれど…
 
 
きしくもイベントに向かう前に参加した、朝活の場で主催者に対して、プライド高く女王様の対応をしてしまった。
 
 
それだけに今回のこの占いの結果は、精神的ダメージが相当キツかった(汗)
 
 
後は、スピリチュアルな方向に向いていると言われた私。(これも最近よく言われる事のひとつ)
 
 
つい先日も数秘術とカラーを組み合わせたセッションを受けてみたところ、そこでも “スピリチュアル” の文字が…
 
 
どうやら私は、“スピリチュアルな女王様キャラ” に落ち着きそう(汗)
 

競争原理の放棄から共生する社会へ

もう闘いたくない!誰かと争って心を磨り減らしたくない


家族ならびに親族から、(悪い意味で) “変わった” と言われて心にチクリと棘が刺さったままだ。


自分自身が “やりたい!” と思った事


・カラーセラピストとして起業して、将来的に独立する事

・ブログで綴った文章をまとめて、書籍として形に表す事


自分がその時その場で感じた事を、カラーセラピーのセッションやブログという形で具現化して表現し続けていきたい


と、最近そう思い至ったのだ。


今までの私は周りに気を遣い過ぎていたのだ。正直言って非常に疲れている


そして労力を使っているわりには、相手から必ずしも恩恵を受ける訳でもない


誤解が無いように言っておくが、べつに単純な損得勘定で言っているわけではない。


感情的な面での労力を出来る限り、有効に使って行きたいと考えているのだ。
もっと言ってしまうと、心から自分の事を気に掛けて下さる方の為に全力を注いでいきたい。


人と会って話をする度に、そんな思いを巡らせている私。


私にはお一人お一人に正面からしっかりと向き合う方が性に合うのかもしれない。


セラピストとして再び活動を再開するに当たって、どこから手を付けようかとまたも迷っている。


それと平行して、自分の感じた事をこのブログで引き続き綴って行きたい。


私はクリエイティブな方向にエネルギーを使う使命があるようだ。


歌を歌う、文章を書く(一時期は絵も描いていた時期もあった)事がとにかく楽しくて仕方がなかった。


心で感じた事を今まさに、表現したくてウズウズしているのだ


“やるか?やらないか?”

“やるしかないでしょ!”


活動を休止してからほぼ放置状態のアメブロも、そろそろ再開させようと計画中である。
(別アカウントを作ろうか悩んでいる)


※あくまでこのブログは個人的なブログです

ただその一瞬一瞬を感じて

“自分の感覚・感情を感じて、嘘偽り無く正直に生きる”

 
 
その為に私は様々な事に取り組んできた。
 
 
・書籍等から学んで、実践に移す
 
・各種セラピーのセッションやカウンセリング、コーチングを受ける
 
・人と会って話をして聴いてもらう(時折、私も話を聴く)
 
等々、何度と無く繰り返して来た。
 
 
それでも突然、前触れも無く訪れる不安は拭えなかった。どの様に対処をすれば良いのかが分からずに怯えていた。
 
 
ただ単純に怖かったのだ。
 
 
目の前の事に集中して取り組んでいるうちは、その一時だけ気を紛らわしていられる。
 
30代も後半になると、どうした訳か20代の頃よりもある部分で臆病になってきているのだ。欲しいものの大体を手に入れているからなのか、守りの体制に入ってしまっている。
 
 
“せっかく手に入れた大事な物を失いたくない!”
 
物を所有する事の代償として、襲ってくる不安感。私は知らず知らずの内にその呪縛に囚われていたのか…
 
 
“経済最優先” “金銭至上主義”…
 
 
今このブログを書いている途中で、“いつの間にか、そんな時代の風潮に飲まれていた” 事に気付いてしまった。
 
 
所有する事に慣れてしまった世代を中心に、 “ミニマリスト” を志向する人が増えている。
 
 
昨年から自分にとって必要な物と、必要の無いものは何かを日々問い掛ける様になり。今では考える事が、少しずつ習慣化されつつある。
 
 
年齢を重ねるってちょっと恐ろしくもあり、可笑しくも感じる。
 
 
今振り替ってみると、“20代の頃の私って、結構怖いもの知らずだったんだな~” (苦笑)
 
 
取り敢えず、トライ&エラーで突き進んで行こう。