愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

再就職に向けての活動を意識して

“会社の民事再生法が適応された事に伴い、再就職先を探す”

 

昨年の振り返り記事で少ししか触れていないネタだ。私自身があまり詮索されたくなかった。

 

何でかって?

「私は他人からプライベートをあれこれと詮索されるのが、基本的に嫌なのさ…正直言ってかなりイラッとする!」

 

だがそれでも、言いたい事が出来沸いてくるのでこうして綴っているのだ。

 

「でも、今回は私もいろいろと思うところがあって文章にしたためたよ!!」

 

と言う訳で、本題に入る。

今月の起業塾の場で、Do項目ではないが出てきた物が 厨二病で職探しをする” である。

 

始めに書いてある通り、本業の職場の経営は非常に厳しい状況にある。

 

上記で綴った様な現状を、塾の場で話をしたところ講師から “早めに就職先を探した方がいい” と言われたのだ。

 

こうして 厨二病で職探しする” 事を始めた私は、ネットでの検索や新聞の求人広告を見る様になった。まさかこの様な形で、再就職活動を10年振りにする事になるとは、露ほども思っていなかった。オーナーチェンジからの民事再生法までの流れは、まさに急転直下だった。

 

正直言って ‟随分と速い展開だなぁ…” と思った私。

 

話を元に戻そう

 

厨二病で再就職先を探す” と決めて探していく内に、会社勤め自体に嫌気が差している自分自身に気付いた。この3年あまり起業塾で学び、人生がかなり変化して毎日が楽しく過ごせる様になったものの、収入が一向に増えてこない現状に怒りを感じている事にまたも気づかされたのだ。下手をすれば自分を責める所にまで行き着き、気付いて感情を味わうと言う事が何度か繰り返された。

 

「もう会社員は辞めたい!!!!!」

 

なんて言葉が、何度口をついて出て来たことやら…そんな事、家族の前では言えるはずもなく。そんなこんなで、一人で悶々としながら向き合いつつ日々を過ごしている。

 

思い返してみると、新型コロナウイルスの影響で休業要請が出てから、今までの働き方に対して違和感が増してきた事は明白だった。

‟自宅から会社まで通勤する時間”‟決められた時間まで会社内にいて仕事” する事など。今まで当たり前の様にしてきたそれらの行動が、新型コロナウイルスの流行をきっかけに覆された瞬間だ。

 

休業要請期間中に、つれづれ考えた私の結論は ‟環境の良い場所で好きな仕事をする” 事だった。 そして出来る限り、稼働時間を短くして過ごす事が私の目標である。