愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

ネットにおいてのコミュニケーションについて

‟苛立ちをぶつけて何になるのか?と自らに問え”

 

怒りの感情をそのまま出したら、それは必ず跳ね返って来る。

私は二か月前にそれを本気で痛感した。

 

それ以降私は、自分の中に巣食う怒りの感情と向き合う事に決めたのだ。

そこから約2か月経過している現在は、今のところ落ち着いているが、時々肚にちょっとした違和感を感じる事がある。

 

そんな時は、味わ…←もういいw

 

今回は、ネットにおいてのコミュニケーションについて綴る事とする。

 

最近はTwitterで関わりを持つ機会が増えて来た私。今もFacebookをたまに観るが、ここ2ヶ月はTwitterに滞在する割合が多くなった。

 

 “ツイ廃?” いやいや…そこまでのレベルまでには至ってないが、再開した当初と比べると、かなりの頻度で呟いている。

 

それにつれて、Twitter上で怒りの感情を発露している場面も観る機会が増えた。

 

勿論、嬉しい・楽しい・悲しい等もあるが、その時はまだフラットに対応しやすい。(稀に影響を受ける事もあるが)

 

私が一番問題視しているのは、ネット上で自ら感じた不満や不満、そして怒りをそのままストレートに感情剝き出しで文字に起こす事が問題なのだ。

 

私自身も6月以降は更に意識して文章を綴っているが、もしかしたら知らない間にやっているかもしれないので、戒めの意味も込めてこうして綴っている。

 

怒りや不満・不安を表現する事自体は決して悪ではない。ただ、言葉の選択等を誤るとその分だけ炎上し易くなるのではないかと考えている。

 

本人が言葉の使い方等どれだけ気を使っていたとしても、感情を刺激する事があるのも事実である。 

 

こればかりは反応した本人が自覚するしか、この状況を打破する手立てが出て来ない。逆に言うとこの様な状況に至っても、他人のせいにしている様では悪化の一途を辿るのみだ。

 

当事者であるにも関わらず、事実を観ずに逃げているのであれば、周りの人間達から

‟あいつ、自分の事しか考えられないんだ” ‟(相手に対する)配慮がないなぁ” 

等々言われかねない。いくら普段の態度が ‟優しく思いやりがあり常識的であっても” だ。

 

むしろこの機会にこそ、あなたの人間性が試されていると言った方がいいかもしれない。見方によってはこの状況をチャンスと捉える事もできる。如何に心がフラットな状態で対応し切れるかが鍵である。