愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

掌編小説を綴るに至って

“学生時代に挑んで挫折した物に再び取り組む”

 

noteに掌編小説を綴ると決めた理由を詳しく書く事とする。

 

先ずは私が小説を書こうと決めて、取り組んだ所から始めよう。

 

初めて書いたのは中学2年の頃だ。

詳しい内容はあまり良く覚えていないが、長編小説の様に膨大な量の文章を書くのは “自分に向かない” と勝手に諦めていた。

 

“この作品を書く事さえもヒーヒー言っているのに、長編小説なんて書ける気がしない” と感じていた。そもそもが文章以前に言葉、語彙力もまだまだ育っていない状態である。

 

中学2年で今の様な文体で文章を書く事は、“子供らしくない” “小生意気だ” など言われる可能性があったからである。

 

“中学生ごときが、大人びた真似をするんじゃねぇよ…偉そうに” と言う無言の圧力を感じた。

 

とにかく不自由だった。自分の好きな様に文章で表現しようと考えていても、周りの目を気にしてしまう性分が、いつの頃からか染み付く様にいた。その元凶は、私自身の自信の無さから来るものでもあった。

 

 

“自分の感じた事、心に秘めていた事を表現する” その行為を無意識に制限していた。

 

それがいつの間にか習い性になり、自らの思いを抑圧する事がデフォルトと化してきた時には、自分以外の人に対して信頼するのを無意識下で拒むまでにコミュ障を拗らせていたのだ。

 

本音を言っても受け入れて貰える、差別や偏見の一切ない場所が欲しいと心から思い、その場を広げて行きたいと切に願っているのだ。

 

話がそれてしまった。

私が小説を書くと決めて、執筆し始めたのは先月の事だ。

 

先月の起業塾の場では、月に1作との目標で執筆を進めて行った。

だが実際に執筆を始めてみたら、予想とは裏腹にかなりの苦戦を強いられたのだ。

 

苦闘しながら執筆した第1作目は下記のリンクから

 

第1作目の執筆と並行して綴っていた2作目は、わりとスムーズに執筆を進める事ができた。

私の予想以上に早く話がまとまった為、“公開するのは今月まで待つか?” とも考えたが、二日前に公開に踏み切った。

 

2作目のリンクはこちらから

 

作品を書き終えた達成感はあるが、その反面で執筆を終えた事に、決して安住していない自分も間違いなくいる。

 

私は音楽を聴く時や文字を見た時、あるいは景色・風景を見た時に、突如脳内に映像が出現してくる。

そしてそれは幼少時にはぼんやりしていたものが、成長するにつれて明確な物として具現化していったのだ。

 

その脳内映像は決して楽しいだけの物ではなかった。実際過去にその映像に振り回されて、現実を見れずに恐れを感じた事も何度かあった。幼い頃は何処からが妄想で、何が現実かの区別が非常に曖昧だった。

 

この脳内映像を使って、遊ぶ余裕が出始めたのは中学生の頃だ。その遊びのうちの一つとして“文章を書く” 行為に目覚めたのだ。

 

今はそれで収入を得ようと駆け出している。