愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

相手を大きく満たす為に必要な一つの事〜甘え下手を脱却する〜

 “果たして、甘え下手脱却となるか?”

(いきなり自分自身が抱えている問題を出してみた)

 

過去にもこの様な記事を綴っているが、私自身は昔から非常に受け取る事が苦手だ。

bluedestiny619.hatenablog.com

 10代の頃など、人から褒められても “そんな事はない” と否定をして見事に受け取り下手をやらかしていたのだ。

 

あまりにも強い自己否定が根本にあったからだ。

 

事実、オーラソーマコンサルティングにて “受け取り下手だ” と言われた経験もある。

 

コーチング・カウンセリングを受け、更に講座を受講してからはこれで改善された!と感じていた。

 

しかし、“だいぶ解消されただろうと高を括って” いただけである事を、まざまざと思い知らされる出来事がここぞとばかりに出来湧いたのだ。

 

見て見ぬふりをしていた過去の自分を振り返ると、今は “こんな事もあったなぁ〜” とか、“あの時、頑張り過ぎて居たのかなぁ…” 等たくさんの事が思い出される。

 

最近もTCカラーセラピーのセッション練習会に参加した際に、“甘えたい欲求” がある事をハッキリと自覚した。

 

目指せ!受け取り上手

 

 

 

場所を問わずに自由な感性で遊ぶように仕事をする

“あらゆる制約を外してお金を稼ぐ”

 

「その為に必要なシステムってどんなものなのか?」今はそれを考え始めているところである。

 

移住を視野に入れているのもその影響がある。

参考までに過去記事 

bluedestiny619.hatenablog.com

 

こちらの記事で静岡県を移住先の候補に決めた事を綴ったが、もうひとつ候補として上がっている場所があった事を思い出した。

 

学生時代からの憧れの地、神奈川県だ 

 

思えば小学校高学年頃から、神奈川(横浜市)に憧れを持ち始めたと記憶する。

刑事ドラマを見ていた影響である。

 

中学生になってからは、修学旅行に行く事が楽しみで仕方がなかった程にワクワクしていた。

 

そして中学三年生になってから、東京・横浜を訪れた時は都会の雰囲気がとても新鮮で、“ほけーっ” とした感じだった。

 

特に班別行動で訪れた、鎌倉の風景ならびに雰囲気が忘れられず。最近になってまた気になる場所の候補となった程だ。

 

“鎌倉の閑静な雰囲気の場所に移住して、そこに籠って文章を綴る生活を送る”

これを想像しただけでニタニタしてしまったw

 

もしくは

“静岡でゆったりしつつ、関東圏や名古屋に時折移動しながら仕事して収入を得る”

なんてプランもいいだろう。

 

春と秋に一時的に新潟に戻るスタイルもいいな、と考えているところだ。

 

 

小さく自分を満たす方法~お金編~

“誰でも出来る、自分を満たす方法”

 

買い物をする時に、値段の安さだけで決めてはならない。

 

“その商品・サービスを購入してワクワク感を得られるか?” を最優先して、それを選択の基準とする。

 

しかし条件がある、“自分の収入と支出のバランスは良く観た上で” というのが前提だ。

 

いくらワクワク感を優先して買い物すると言っても、お金の事実確認は必要だ。

 

事実確認をする為に“手取りの金額をあらかじめ試算する” とか “予算をいくらにするか?” を見るのだ。

 

“金額がいくら迄なら支払いが可能か?” を観ないで買い物をするとか狂気の沙汰だ。

 

 

 

物書きとセラピスト業で生きていく

“ライターと名乗りつつも不安が…”

 

自分で言うのも可笑しな話だが、自分の肩書きを “リアリティーライター” って名乗っておいてかなり不安(な感情)が出た…ヤバい(汗)

 

カラーセラピーをしていて、そこからでてくる言葉に基づいて出てくる、お客様のリアリティーを掴んで文章に起こす。

 

不安もそうだが今回の宿題(Do項目)が、本業の職場に関する事で、しかも “不満を味わう” のだから。

 

事の詳細は割愛させていただくが、会社内で重大なトラブルが起こった。

 

その事実を知った瞬間に強い不満が出た事から、このDo項目に決まった。 

 

現在、絶賛不満を味わっている最中である。

(怒りも出ているが) 

 

そんな(どんな?)TCカラーセラピストでレイキヒーラーで物書き(ライター)の個人的ブログだ。

 

要するに “セラピストたる者、感情と向き合わずして人と接する事など困難を極める” のだ。

 

自分の感情と向き合えないと、事実確認がしづらくなるのだ。 

 

そして人生を悉く破壊しかねない

 

 

これは何も、人を癒す立場の人間や起業家だけに限定される物ではない。

  

会社員や主婦にも必要不可欠な物なのだ。

 

現在起業塾(楽々塾)の4期生の募集も既に開始している。

 

これからの時代の新たな流れの中で、私はやりたい事を実現させる。

 

 

 

アメブロとはてなブログ、両方を使う理由

“セラピストモード、一辺倒じゃあ身が持たないよ”

 

セラピストだって、本音を語りたい時もある。何故なら人間だから!(当たり前だろ!爆)

 

人間臭さがないなんて、つまらない。

 

そう思いませんか?

 

私はセラピスト名義はアメブロを使っている(使用歴7年)

 

だが、何かと制約が多い

 

・禁止語句がある(性的な物や死を連想させる様な物等)

・商用目的での使用禁止(アフィリエイトも不可)

 

 具体的な物はこれくらいだ。

 

それに対してはてなブログ

 

・禁止語句は現在の所は聞かない(削除もされていない)

アフィリエイトも可能

 である。

 

必要以上に統制するなんて、いい加減止めておけば良いものをと個人的にそう感じた。

 

ガチガチに抑え付けてしまったら、その反動で爆発するのは、過去の歴史が物語っているではないか?

 

そうまでして、抑え付ける理由が私には分からない。

 

無理やりコントロールするよりは、ある程度放っておいた方が健全な対応と言えるのではなかろうか。

 

話が逸れてしまった。

 

アメブロは、セラピスト名義の控え目対応。はてなブログは、個人的に本音を表現する場として自由に綴っていく。

 

 

 

 

 

高校時代~社会人(20代)

“中弛みの高校時代から20代まではパッとしない人生だった”

 

高校も私語がうるさい同級生がいた位で、学校生活であまり問題はなかった。

 

中学時代から専門学校に進学希望していた為、勉強はそれなりにしていたもののクソ真面目に生きるのも違和感を感じていた事もあり、時々羽目を外していた。

 

文化祭と球技大会は途中でサボった事もあった。(二年生の頃の話w)

 

専門学校時代に就職が決まらないまま卒業して、やっと決まったのが地元の小さな町工場。

 

いくら資格を取得しても自信の無さは相変わらずで就職の面接の場でも、アピールする事もできず。運良く工場の仕事が決まって、いざ仕事をしたら失敗ばかり。

 

20代の頃はそれこそ、労働環境の整っていない職場で奮闘していた。

信じられない話だが、当時働いていた職場は有給休暇がないのが当たり前だった。

 

20代後半になってから、正社員で採用されて働き始めた職場を退職後。一年近く再就職先が決まらず、派遣社員として食品会社で夜勤で働き始めるが、精神的ストレスが原因で退職。

 

一時期心療内科に通院し、カウンセリングと投薬ですぐに回復した。

 

その出来事がきっかけで、日勤のみで働くと決めた。

 

派遣社員時代は契約期間が短い仕事が多い上に、次の派遣先がなかなか決まらず無職の期間も度々あった。そんな状況だった為に定職に就く事が難しく、貯金が底をつきそうになる経験もした。

 

派遣社員時代は食品の製造工場での勤務が多かった。

惣菜・きのこ栽培・米菓・餅(きのこ栽培と餅は2回)

食品以外では、ワクチン製造工場・ロールスクリーン製造・石油ストーブの部品製造

思い出せる範囲ではそれ位だ。

 

石油ストーブの部品製造の仕事で現在の職場の同期と出会う訳だが、当時は気付かれなかった。

参考までに、過去記事

bluedestiny619.hatenablog.com

話は逸れたが、私の20代の頃の職歴はこんな感じだ。 

 

 

 

中学二年&三年

“学生時代で一番充実していた時期の話”

 

中学二年に進級してから案の定、早々にイジメに遭った。

 

中学一年の頃の担任から “あなたが弱いから” という意味合いの言葉を言われたのは、母を通じてだった。

 

勿論、母もこの発言に憤りを感じていたうちの一人だ。

 

そんな背景もあって、初めは担任が変わっても然したる期待などしてなかった。

 

けれども、敢えてイジメの事実を伝えた。

 

その後は本気で一喝した。そこから過去のエピソードを語り出した。

 

担任はかつて、教え子をイジメによる自殺で亡くした経験があったのだ。

 

この話にクラス全員が涙したのだ。

 

その数日後、イジメた生徒の母親が自宅に謝罪の電話をしてきた。

 

こんな事は人生で初めてだ。

 

それからは楽しい学校生活を存分に満喫できた。

 

体育祭や合唱コンクールでも一致団結し、輝かしい成績を修めた。

 

特に合唱コンクールは、歌が大好きな私にとっては非常に思い入れのある学校行事だった。

 

人並み、いや…それ以上に中身の濃い時期を過ごす事が出来たのは、この担任のお陰である。

 

※次回に続く