愛と自由を携えて生きる

新潟生まれの新潟育ち。工場勤務兼作家志望のアラフォー女子が、 “自分らしく生きる” 事を探究する様子を綴るリアルなライフログ

気付きときっかけで私の周りの世界が変わった

年末年末の休暇に入り、気になっていた点があった。

 

それは

 

・ホームページ(それに相当するもの)の作成

Facebookページの作成

 

この2つだ。

休暇に入る前からこの2つが気掛かりで、若干モヤモヤしていていた。

 

休みの初日に、ホームページとFacebookページについてネットで調べていた。

 

最初の2日間で8割程まで完成させて、翌日にはイベントページ作成まで漕ぎ着けたのだ。

 

“私が提供するTCカラーセラピーのセッション”

 

それを多く人に知っていただきたいとの思いだけでここまで突っ走って来た。

 

 

私の中の何処かにスイッチが入り、そのまま勢いに乗って集中していた。

 

 

走り出したら目処が付くまで止まらない。

 

けれども “徹底してやり切る” と決めていたので、昨日のイベント当日も何事もなく無事に終える事ができた。

 

最近はセラピストの活動を進めて来たので、この勢いで文筆活動もコツコツと進めていきたい。

 

今年はこのブログの発信にも力を入れて取り組んでいきたい。

 

 

セラピスト名義のFacebookページ

https://www.facebook.com/Hikarinokakera2007/

コミュ障さえも武器にして進め!

私は自分の事をコミュニケーション障害だと自覚している。

 

幼い頃から人と話をする事が苦手だった。

と言うよりは思った事を話すと、悪い意味で受け取られていた。

 

そんな事がいつも続いていたので、次第に本音を話さなくなっていった。

人の目を気にし過ぎていたから何も言わなくなったのだ。

 

意志疎通を図る事がお世辞にも得意ではなく、相手が謝った解釈をしても “違う!” と、はっきり言えなかった。

 

器用に立ち回れない自分を駄目なヤツだと思い込んでずっと責め続けていたのだ。

 

そんな思いを子供の頃からずっと握り締めてきた為、人知れず涙した事も数え切れない程あった。

 

それにもかかわらず、私はTCカラーセラピストになった。

 


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 非常にネガティブでコンプレックスの塊だった私が、オーラソーマがきっかけで色彩心理学を知り、書籍を買い求め独学で学んでいった。

 

学びを深めていく中で、自分自身の良きも悪しきもあるがままに認められる様になってきたのだ。

 

話は変わるが、数日後に行われるイベントに出店する。

ひょんな事から、出店のお話をいただいた事がきっかけだ。

 

 

それまでの私ならば、出店したい気持ちはあっても心の中では “私なんて…” と後込みしてお断りしていたのだが。今回はそんな迷いも出ず、その日のうちに出店の意向を伝えていた。

 

 

ようやく念願のTCカラーセラピストの活動を再開する事ができた。

 

この様なお膳立てをしていただき、本当に感謝している。

 

当日は “嬉しい” “楽しい” “気持ちいい” を意識してセッションをさせていただくだけ。

 

これからお会いするお客さまとの出会いを大切にしていきたい。

ヘタレ上等!~足掻きながらも動いた者が勝つ~

始めに言っておこう

 

今回の記事は、かなり泥臭い文章である

(普段は結構な、ええカッコしぃの私の割には…)

 

行動せずに不平不満ばかりの人生なんて、本当に勿体無い!

何でも人のせいにするのは、ただの逃げでしかない

 

ヘタレでも “何かやろう!” と動いている人間の方が断然いい

 

 周りから “カッコ悪い” と言われる人の方がむしろカッコいいし輝いて見える

 

そもそも人が一生懸命に努力している姿を見て、“カッコ悪い” と言う人は何も行動していない。ただの怠慢だ。

 

そんな人間は、未来に向けてのビジョンも何にも考えずに過ごしている。

 

人生一度きりよ?

 

なのに自分は何もせずに、人がアクション起こしているのを見て嫉妬する。ひどい時には邪魔もする。

 

但し出来る限りの事をやりつくして、もう万策尽き果てたという人は除く。

 

恐らくそこまでの状況になっているならば、精神的にも相当ダメージを受けている筈。

 

むしろこういう人こそしっかりと休んだ方がいい。

 

話は逸れたが、人の行動をいちいち批判している人間は他人の事など何も考えていない。

 

自分がどう思われているのか、あまり気にしていない様だ。

 

足掻きながらも行動している人間は、周りの人から助けられる事だってある。

 

たとえ人から見られていなくても、物事がちょうど良くなる。

 

 

 

 

 

自信に根拠なんて無くてもいい

私は自分に自信がなかった

子供の頃からずっと…

 

今思えば自分の事を言葉で表す事が得意ではなかった

 

 

そんな不器用な自分自身を責めてばかり

 

 

やりたいことがあっても “お金が無いから無理!” と言われる事が多かった

 

 

自己を表現する仕事(漫画家・声優・ゲームのキャラクターデザイナー)がしたいと言おうものなら

 

“そんな仕事で食べていける程、世の中甘くない!” 

と一蹴された

 

そんな私がずっと持ち続けていた夢が、“文章を書く事” 

 

唯一、この夢だけは誰にも邪魔されなかった。

 

それは何故か?

 

形(媒体)を変えても続けられるから

 

 

昔なら紙に書く事。今ならばインターネットも普及して、パソコンや携帯(ガラケー)・スマホ等を使ってWeb(ブログ・SNS)上で、誰でも気軽に発信できる。 

 

 

話は逸れたが、私の場合は文章を書く事で自信の無さもありのまま表現したかったのだと気付いた。

 

 無い!無い!なんて言いつつも表現だけはしたかったみたい…

 

これも梵の為せる業?

 

なのかもしれない

 

脱・マジメ宣言

時代はゆるむ方向に移行している

 

私の周りではyogaや施術で体をゆるめるプロがたくさんいる。

 

その道のプロより様々な角度から体のゆるめ方を教わり施術を受ける、もしくは実際に実践して来た私。

 

何故、そこまで “ゆるめる事” にフォーカスしたか?と改めて問うならば

今までの “努力” “根性” 一辺倒では物事が立ち行かなくなっているからに他ならない。

 

 

 だからと言って、やること全くやらずに…とはいかない

 

自分自身の持ち味を無理なく自然に引き出す

 

これに尽きる。

 

ある程度の努力は人生に於いて必要だ。

 

けれどもそれだけでは立ち行かなくなる、どこかで頭打ちになるのがオチだ。

 

“努力は必要だけども、行き過ぎてドMにはなるな!”

 

 

 

 

変化の波にしなやかに乗って

先月、レイキのファーストのアチューメントを受けて来た私。

それは分離から統合の時代に対応したレイキのアチューメントだ。

 

 

今月はセカンドのアチューメントを受ける予定である。

 

 

気付きのチカラを更に開花させ、人生をもっと自由に自分らしく生きる為に、私はTCカラーセラピーとレイキを使ってサポートしたい。

 

私の現段階で思い浮かんでいる将来のビジョンだ。

 

そして文章を書く場面でそれを活用させて、その人一人一人の持ち味を無理なく引き出すライターになりたい。

 

 

クライアントの心に寄り添い、なりたい姿を一緒に考えて作り上げる文筆家。

 

 

そんな仕事を私はやりたい。

 

 

もっと自由に生きていく為に

先月に入ってから、気持ちが乗らず若干気が重かった。


幸いにして月の中頃には、だいぶ精神的・肉体的にも安定して来た。


恐らく気候の変化の影響もかなり受けているかもしれないが、心も身体も重くていまいちパッとしなかった。


その原因は一言で言うと


 “後に残された者としての責任感” 


この一言に尽きる。


とにかく不安だらけで、先月の月始めの仕事中は毎日のようにふと涙が出ていた。

 “消えてしまいたい…” 

とさえ思うこともあった。



例えるならば、こんな感じだ。


“ああ 一人乗りのこのボートに
無理矢理に乗せるから 命よりも重いものは捨ててくれ”

(9mm Parabellum Bullet光の雨が降る夜に」)


要らない物はいっそのこと、捨ててしまいたいとの思いが強かったのだ。


更に今月は上司より急遽公休日出勤を依頼された。その上、今朝は残業時間の延長まで考えている旨を告げられたのだ。

真剣に働いても思った程には楽にならない現実。

周りからは、不満と愚痴しか聴こえてこない。


これでは、自分自身の心を満たす事などとっくのとうに忘れ去ってしまうではないか!
私にとっては、非常に由々しき問題である


(冗談じゃない!)


肉体的休息はもとより、精神的休息も仕事を円滑に進める為には必要不可欠な条件の一つなのだが、口で言うわりには現場ではあまり重要視されていない様に感じる。


要するに、人に “ああして欲しい” “こうして欲しい” と求めるんじゃなく
“私はこうします!” と宣言して行動する。


失敗する事は悪ではないのだ。
敢えてもう一言付け加えるならば、行動しない事の方が害悪なのだ。


 “もっと生きやすく働きやすい” 環境にしていく為に、私も出来るところからコツコツと取り組んで行きたい。